数年前の自分に、「無理をしなくてもいい。楽しく働くことはできるよ。」と言ったところで、絶対に信じなかったと思います。
毎日「職場」という鳥かごに入り、ゴールのない人生ゲームをしているようでした。
視野が狭いという表現が適しているのか、周囲から感受するもののほとんどが悲観的解釈だったように、今は思います。
仕事を辞めたいと強く思いながらも、「ここを手離したら次はない…」、そんな重い荷物(悩み)を背負ったまま、しがみついていました。
いざ手離してみると、追い詰められて溜まった悩みは消え、前向きになれたことが意外でした。
私は今、程よい会社で働きながら、前に進んでいます。
- 名前:taro
- 年齢:30代
- 性別:男性
- 家族:妻と子ども
- 職歴:転職4回です。営業職→サービス業→サービス業→公務員→サービス業(IT・web部門 ※リモートワーク中)
本記事では、私が職場で抱えた「苦悩」と「その後」について書いています。
※職歴については、詳細を語ると長くなるし、そんなに知りたい人がいないと思うので、ここでは一部(公務員時代の最後)だけご紹介します。
蓋をして溜め込んだ悩みは大きくなった
私は、新卒で入社した営業職を辞めてから職を転々とするも、お金の安定を求めて公務員になりました。
今の会社に就く数年前、30代半ばまで働いていました。
労働環境は良くありませんでした。
ただ、公務員なので組織が潰れることはないし「多少不満があっても我慢すれば安定した生活ができる」という、今考えると少し楽観的な思考で過ごしていました。
正社員や公務員といった安定した身分は揺るぎない価値だと思っていました。
親族や友人に「ちゃんとしている人」だと思われたかったし、わりと貧乏なのに大学まで行かせてくれた母親を心配させたくないという気持ちもあり、安定職は自分にとって魅力的だったのです。
何より「働く意味=お金」だと考えていた私は、「この職場は手離せない、ここを辞めたらもう正社員として働けない…」、そう思っていました。
現に公務員を辞めたら民間で働くスキルがなく、未経験採用を目指すことになります。
30代に突入した途端、定年退職までの「綱渡り人生(転落厳禁)」の始まりです。
骨をうずめようとしたそんな職場なのに、なぜ辞めることになったのか。
きっかけはパワハラでしたが、それ以前の悩みや我慢も含め、一気に爆発したように思います。
理不尽な上司の意見でも受け止めるのが当然とされる環境でした。
外部よりも内部の人間に気を使っている自分が本当に嫌でした。
ただ、給料が確実に支給されることだけは有り難いと感じていました。
30代になって上層部の意見に歯向かってしまいました。
結果として、皆からの賛同を得たのは私でした。
つまり、上司は恥をかいたのです。
それからしばらくして、パワハラは始まりました。
思い返せばここに書けないことをたくさんされたけど、その度、
「文句を言っても仕方がない」
「ほかにも辛い人はいるだろう」
「仕事を辞めることはできないし耐えるしかない」
そう思っていました。
昔からそうでした。
仕方のないことは諦め、悔しくても苦しくても気持ちに蓋をして、出口を作ってきませんでした。
パワハラが繰り返されると、気持ちの消化速度が追い付かず、自分でも意識しないうちに悩みは深く大きくなっていたように感じます。
みんな、気付いてたの?
ついには専門分野を外され、パワハラ上司(←人事権あり)の直属の部下になりました。
30代半ばで未経験の部門です。
キャリアと縁がない私の異動は、期待されたものでないことが明らかでした。
ある日、同期がふと口にしました。
「長いこと(いじめを)やられてるでしょ?」
「『〇〇(パワハラ上司)』が異動したら楽になるから」
、、、、、、、、、んっ!?
周りはみんな気付いていたんです。
視野が狭くなってそんなことも分かりませんでした。
たしかに、いつも気さくに話しかける人達がパワハラ上司の近くでは私に話しかけてきませんでした。
振り返れば1年間、心配される声掛けばかりでした。
当然誰もパワハラの影響を受けたくありません。
加害者の立場が強ければ強いほど、周囲がどうこうできるものでもなく、目をつぶるしかないのです。
「我慢を続けてきたけど、、、これは、当たり前なのか?」
その何とも言えない感情がきっかけで、これまで溜まってきたもの全てを吐き出したい衝動にかられました。
何が楽しくて毎朝電車に乗っているのか、周りが嫌な気分にならないよう笑顔を作ってきたのは何だったのか、何で自分は耐える方を選択してきたのか、もう分からなくなり、一睡もできない日々が続きました。
それから一ヶ月も保てませんでした。
「このままじゃまずい…」
そう感じながらも、一方的に精神はすり減っていきました。
そして、休職することになりました。
些細なことを楽しめるようになった
一時入院しました。
パワハラという脅威に対するプロテクターが外れたのか、初日から少し眠れました。
翌朝、「仕事を辞める」と決めました。
「反対されるだろう…」
そう思ったけど、家族の反応は想像と違いました。
母親は「公務員だったら復職の制度がしっかりしてるんだよ、もったいないよ」という言葉ではなく、「家族で仲良く生活できたらいいんじゃない、無理する必要はないよ」と、心配している素振りを見せませんでした。
公務員を手離せなかった最大の理由「安定した収入」のために、ストレスフルでおかしくなりそうな状態が作り出され、それは不安定そのものでした。
視野が狭くて気付けなかったけど、休暇を取って冷静になると「不安定だった自分」が徐々に見えてきました。
何よりも、「うれしい」「楽しい」「美味しい」という感覚を忘れていたことに気付きました。
ストレスとの向き合い方、物事の楽しみ方を改める時間ができたことは本当に有益でした。
毎日飲んでいたコーヒーが「こんなに美味しかったっけ!?」と驚きました。
また、2週間かけて電車の旅をしたときは1分1秒楽しみを噛みしめていました。
それと同時に「相当疲弊していたんだな…」、そう自覚しました。
本当に嘘かと思うくらい、気持ちが前向きになっていく自分を実感する日々でした。
「美味しいものを美味しいと感じていたい」
「興味があることをしたい」
「好きなところに行きたい」
「それを楽しめるだけの心の余裕を持って生きていたい」
そう強く思いました。
一方で、職場には退職意思を伝えていたものの、引き止めで思うように手続きができていませんでした。
「今後の対策も検討する」とのことでしたが、日本の法律を考えれば「パワハラ”被害者”を守る効果的な解決策なんて存在しない」ことは明らかでした。
しかも、全く信用できない職場です。
意味のない連絡調整だけで、当時の辛い記憶がよみがえり億劫でした。
「もう、違う人生を歩みたい。」
そう思い、退職意思が曲がらないことを何度も伝え、承諾を得ました。
「ここを手離したら次はない」は幻想だった
無職からの転職となればダラダラできません。
取り急ぎ、国の支援制度や保険関係の把握、そして転職活動に集中すると、あっという間に数ヵ月が経ちました。
幸いにも内定をすぐにもらい、その後も活動を継続した結果、会社を選べる立場になりました。
疲弊しきっていた頃とは違って、心身ともに動きが自然だったように感じます。
当時を振り返ってみると、追い詰められた自分に気付くことは本当に難しいと思います。
パワハラ被害の当初、「ちょっとした嫌がらせだからそのうち収まるだろう」と決めつけていました。
公務員にしがみついていた私は「辞めなくていい理由」を探していたのです。
「いつかはこの辛さも終わる…」そう思い続け、いつしか、大好きだったコーヒーの味を忘れていました。
公務員を辞めてから思うことは、
- 安定にしがみついている自分は本当に不安定だった
- そして「ここを手離したら次はない」なんて、転職の現状を知ろうともしないで創り出した、いわゆる幻想だった
ということ。
好きな仕事を求めることもまた、楽しい
これまでの仕事を振り返ると、新しいものが見えてくるんだな、と思いました。
私は、サービス業をすぐに辞めてきたけど、顧客満足が求められる仕事内容は好きでした。
「ありがとう」と言われることに、わりと快感があります。
これまで楽しく働いてきた仕事はなんだろうか、どんなことが得意なのか、どうしたら仕事が好きといえるだろうか。
そう考えながら転職先に決めたのは、結局サービス業でした。
今は、勤務日数を自分で調整できる(不規則だけど人間味にあふれた)職場で働いています。
30代になってようやく「好きになれる仕事」を求めるようになりました。
現在、IT・Web関連の業務に就き、在宅ワーク中です。
未経験の分野でしたが、スキルが身についてくると、周囲から求められていることを実感できます。
それに、将来的には独立も視野に入れており、日々充実感があります。
仕事に対し、求めるもの・満足するものは、一人ひとり違います。
「キャリアアップを目指してとことん働きたい」という人もいれば、「趣味のために、家族のために働く」という人もいる。
どんな形であろうと、自分なりに希望するものがあって納得していれば、それは正解なんだと思います。
これまでに色んな書籍を読んできましたが、当時は「道は開ける」「嫌われる勇気」など内面に関する名著を手に取っていました。
そして、これらが伝えている最大のメッセージは1つです。
「自分を信じて行動せよ」
どの自己啓発系書籍を見ても、結局はここに落ち着きます。
でも、「将来の希望」って何だか恥ずかしくて蓋をしてしまいがちですよね。
「仕事の悩み」もそう、表に出しにくいので蓋をしてストレスを溜める原因になります。
だけど、悩みも希望も出口を解放しておかないと、充実した毎日にはならない、私はそう感じました。
当時の悩みは辛かったけど、次に進めたということは、明るい未来に向かうための良いきっかけとなりました。
辛い経験も人生ベースで考えれば、価値ある財産となったように感じます。
さいごに:自分を信じて、行動してください。
仕事の悩みを抱える過程で、
「辞めたら次はない」
「辞めてもその後が不安…」
そう思っているかもしれません。
でも、自分の能力を活かせる仕事は意外に多いです。
20代の方は特に、未経験であっても求めている企業がたくさんあります。
無理をして、今の職場にしがみつく必要なんて、全くないのです。
冷静に考えれば見えることも、追い詰められると見えにくい、、、
そんなときは、一度立ち止まってみましょう。
「悩み」「希望」を紙や声に吐き出して、自分に必要なものだけを捉えて行動すれば、楽しい毎日に近づくのではないでしょうか。
悔しくて苦しい今、とても辛い状況ですよね。
でも、大丈夫です。
希望も勇気も持てない人が、ここまで読み続けることはありません。
あなたは、今後の人生のために、しっかりと準備ができる人です。
だから、あなたはちゃんと前に進めます。
自分が信じた道に向かって、ぜひ頑張ってください(^-^)
補足:筆者のその後
筆者はこれまで、何度も転職を行いましたが、素人の考えで活動していたため、失敗を繰り返してきました。
ですが、最後の転職では絶対に失敗したくないと考え、転職のプロが手厚くサポートしてくれる『転職エージェント』を利用しました。
おかげさまで、自分の強みや企業の良し悪しをしっかり見定めることができ、ようやく希望のホワイト企業に入社できました。
この活動の中で「自分にも進める道がこんなにあるんだ」と理解できたことは本当に救いで、これが人生を好転させるキッカケとなりました。
なので、皆さんにもおすすめしたいと思います。
私は退職後の転職活動だったのでバタバタでしたが、実際には在職中に活動できるので、いきなり無職・無収入といったリスクを追うことはありません。
もちろん、こっそり活動できるので、転職せずに現職を続けることもできます。
転職活動は3ヶ月ほどかかりますが、多くの人が今よりもっと良い会社に出会えるはずです。
『一般転職』について、おすすめの転職エージェントを調べています。
興味がある方は、次の記事を参考にしてください。
≫【経験者が語る】一般転職で利用がおすすめの転職エージェント3選
おすすめの転職エージェントを知りたい人向け。今までに転職を4回経験した私ですが、転職エージェントの利用価値はやっぱり高いです。需要の高さを見ても明らかですが、それと同時に転職エージェントは乱立しています。そこで、今回[…]
ただ、私は「IT・Web業界」に参入して分かったことがあります。
それは、「最も自由度の高い働き方だった」ということです。
ITスキルは年配の方が持ち合わせている技術ではなく、若い人の意見もかなり反映されます(大企業では難しいかもですが、、、)。
つまり、経験を武器に無理難題をふっかける「口ばっかりのおじさん・おばさん」に従う機会が激減します。
しかも、ITスキルの需要は今後も伸びていく一方なので、万が一合わない職場だったとしても転職が優位に働きます。
ITスキルを持っていれば、「IT転職=キャリア・年収アップ」が比較的容易なのです。
また、少し難易度高めですが、独立している人が多い業界でもあります。
ただし、業界の特性上、変化も激しいので日々の勉強は必須です。
IT業界に参入するメリットやデメリットについて知りたい方は、次の記事を参考にしてください。
≫IT業界に転職するメリット・デメリット【私は完全に社畜を脱しました】
「IT業界に転職するメリットとデメリットを知りたい。」 「特にスキルとかないけど、こんな自分でも大丈夫かな?」 「経験者から話を聞きたい。」 taro今回は、こんな疑問にお答えします[…]
この記事の結論として、業界のこだわりがない20代の方は、参入して絶対に損はしません。
今後の人生を豊かにしてくれる、最もお得なスキルです。
なお、『IT・Web転職』についてもおすすめの転職エージェントを厳選しています。
興味がある方は、次の記事を参考にしてください。
≫【2021年】IT・Web業界に強い転職エージェントおすすめ5選【徹底比較】
IT・Web業界に転職したいなら、成功率が他のサービスよりも圧倒的に高い転職エージェントに登録する必要があります。 統計データを見てもIT・Web系の人材価値は今後さらに上がる見込みですが、一方で人材不足もささやか[…]