本記事は、筆者の体験談として、記事を書きました。
「挨拶の強要」はパワハラの手段として利用されることがあります【体験談】
「挨拶の強要」がパワハラに該当するのか?という疑問に対しては、通常「該当しない」が答えです。
ただ、パワハラは「職場の優越性を利用した嫌がらせ行為」なので、使い方によってはパワハラの手段となりうるのです。
そういった視点で読んでもらえたらなと思います。
挨拶の教養(強要)を受けながら、挨拶の返答がない
筆者は上司からのパワハラに悩まされ退職しているのですが、本記事は、そのずっと前から起きていた話を内容としています。
その上司は、筆者より後に同じ職場に赴任してきました。
ポストは総務部のリーダー的立場です。
その上司は赴任してまず、職場において挨拶が大事であると従業員に説きます。
話の内容としては素晴らしく、改めて挨拶に気を向けようと感じましたし、同じ気持ちになった従業員も多かったと思います。
翌日、普段より意識して挨拶していくと、ほかの従業員も同じ気持ちだったのか、けっこう気持ちよく返答してくれたり、そこから会話につながったりして、挨拶に注意を向けることだけでも普段より気持ちがいいものだと感じることができました。
そして、その上司のデスク前を通ります。
当時の職場は、出勤時にその上司のデスク前を通る構造になっていました。
その上司はデスクで書類か何かを読んでいたのですが、筆者が「おはようございます!」と伝えると、その上司は筆者の方に顔を向けました。
そして、スッと書類に目を戻したのです。
筆者はその時、「んっ!?いま目が合ったのに無視しなかった?」そう感じました。
よく状況を飲み込めませんでした。
そして、筆者はとりあえずそのままデスク前を通過すると、後ろの方で「(従業員)おはようございます!」「(その上司)おう、おはようっ!」と気持ちのいい挨拶が聞こえてきました。
次の日も同じ状況が起こります。
その次の日も・・・。
2週間近くが経ったとき、色々と考えを巡らせた結果、「自分の声が小さいのかな?」なんてことを思います。
それまで挨拶を露骨に返されなかったことがなかったので、鈍感だった部分もあります。
しかも、その上司と部署が違ったので、自分がほかの従業員と区別されていることに気付く材料(これは後々気付いていくことに・・・)がありませんでした。
そして筆者は、いつもより大きな声で、なるべくはっきりとした挨拶に努め、「おはようございます!」と伝えました。
しかし、上司は少しだけ顔を上げるも、筆者の目を合わす手前で再度デスクの書類に目を落としました。
またダメだったか・・・。
さすがにいら立ちの感情も生まれました。
こうなれば意地でも挨拶してもらいたいとの考えに至り、翌朝、挨拶すると同時に少しデスク前で立ち止まりました。
すると、上司は少しだけ顔を上げ、そして筆者がデスク前から動かないことを確認するかのように、しばらくして目を向け、「あぁ。」とため息にも近い音を出しながらデスクに目を落としました。
筆者は、「何が何だかわけが分からん!」と思いました。
もう一度だけ頑張ってみようと思いました。
そして次の日、前日と同じように挨拶と同時に立ち止まると、「(上司)あっ、そういえば・・・」みたいなことを言って、席を離れていきました。
もうこの時点で筆者の頭の中は混乱しまくりです。
その頃には、周囲でも筆者が上司から無視されているような感覚があったようで、「〇〇(上司)と何かあったの?」という質問も受けていました。
ついに考えることを辞めました。
意地になって上司からの挨拶を求めたところで、自分が惨めなだけと思ったのです。
そして、その上司の前を通過する際には普通の挨拶に戻しました。
相変わらず返答はないので、筆者の挨拶にも気持ちがこもらないようになったことは明らかで、徐々に声も小さくなっていきました。
そんなある日のこと、朝の会議で上司はこう言います。
「最近は皆さんから気持ちのいい挨拶をしてもらってうれしいです。私にとっても仕事がしやすい環境となりました。ありがとうございます。ただ、元気がない人もいます。良い挨拶から1日が始まると気分が違います。皆さん気持ちよく挨拶をしましょう。」と。
何だこれは、と思いました。
さすがにその頃には、筆者も挨拶を返してもらえるなんて思っていませんので、毎朝ロボットのごとく(相手を不快にさせない程度の)挨拶をしていきました。
その上司も、赴任後二か月ほど経つと、うまく挨拶をスルーするようになりました。
筆者が上司のデスクを通過する時間帯はほぼ変動がなかったのですが、その時間帯は、誰かと話をしている、書類や新聞を見ている、あごに手を当てて考え事をしている、といったスタイルでした。
そして、挨拶をしても顔の向き自体が変わらないようになっていったので、自然と筆者の挨拶はスルーできるようになってるなぁ、と感じるようになりました(これには筆者の思い込みが入っている可能性もあるので注記)。
その頃には、その上司に対する挨拶がとても苦痛でした(業務内容やほかの人間関係に不満がなかったので、これだけが苦痛という方が正しいのですが・・・)。
そしてある日、朝の会議で上司はこう言います。
「まだ、挨拶に元気がない人がいますね。挨拶は社会人として基本中の基本です。」と。
筆者はこう感じます。
「もう挨拶を強要されるのが辛すぎる」と。
挨拶の教養(強要)を受けながら思っていたこと
今回の話を細かくしていくと内容が肥大化すると思い割愛部分も多かったのですが、その上司がいう「挨拶」とは、
- 部下から上司に、後輩から先輩に行うのが礼儀
- 自分(その上司)に対する礼儀は常に心得よ
- 挨拶すらできない人間は評価しない
という考えなんだな、と徐々に見えてきて、その不快感がずっと拭えませんでした。
なお、ほかの従業員のほとんどはその上司と気持ちよく挨拶や会話を交わしていたので、そもそもそのような考えに至っていないのかもしれませんし、筆者だけの思い込みなのかもしれません。
しかし、筆者はそう思いました。
そして、「これってパワハラの手段(挨拶を強要しておいて返答しない)だろ・・・」と思いながら、苦痛の日々はその後も続きました。
挨拶をしないと評価に影響があるといった事例(番外編)
ここで話が変わり、以前の職場でこんなこともありました。
筆者が所属していた部署に挨拶を大事にする上司(A上司とします)がいました。
そして、同じ部署にいた部下(Bくんとします)はおとなしいタイプでした。
いつも上司は、「あいつ、声が小さすぎなんだよ。挨拶もろくにできないからな。」と文句を言っていました。
確かにBくんの声は小さく、挨拶が苦手なんだなと分かる人だったのですが、別に挨拶をしないわけでもありませんでした(A上司に対しても)。
そして、Bくんは、すごく仕事が丁寧で、しかも仕事が速く、他人にも親切であり、どう考えても会社にとって優秀な人材でした。
ところが、A上司はBくんの評価を低く見積もって上層部に報告していました。
それを知った筆者がその理由を聞いたところ、A上司は「あいつ、挨拶もできんしな。」と言いました。
筆者は、「いやいや、挨拶してるでしょ!!」と、ついついA上司にツッコミを入れてしまいました。
しかし、A上司は、Bくんの業務面の素晴らしさを認めつつも、挨拶がうまくできないという点に重きをおいて低評価に位置付けたのです。
当時の筆者は、そんなものなのかなぁと思いました。
しかし、今考えてみると、「全然違うでしょ!」とツッコミを入れたくなります。
これがパワハラに該当するかは別として、A上司の「評価の仕方・人の見方」が歪んでいると思うのです。
【結論】:挨拶は強要すべきでない
筆者も挨拶を苦痛と感じ始めたことをきっかけに、
- 挨拶を強要されるのが辛い
- 挨拶の間だとか調整するのがきつい
- 挨拶を返されなかったらどうしようと考えてしまう(そういう自分が嫌い)
などの感情が生まれてきました。
そもそも、挨拶や会話が苦手だけど仕事はちゃんとやっている人ってめちゃくちゃいると思うんです。
そういった人にとって、挨拶や会話(のテンション)の強要を受ける(無理やり個人の基準に引っ張り上げられる)と、本人は苦痛でたまらないはずです。
感情も人それぞれであって、そのときの気分が良い人もいれば悪い人もいる。
だから少なくとも、そういったことで人を仕事の評価と直接結び付けるようなことはあってほしくないと思うのです。
結論として、挨拶は強要すべきでないと強く感じます。
ーーー【追記】ーーー
筆者はパワハラ被害で長く苦しみ、当時のことを記事にしています。
もし興味があれば、ご覧ください。
≫パワハラ被害者のその後【辛い経験だったけど幸せをくれました】